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多くの人が10代のうちに、遅くとも20歳そこそこで片をつけている問題にこの年までかかってしまった。
家族の問題。
でも去年から今年にかけて、もう片がついたんだと思う。問いは隅々まで洗い出され、なんというか結局は水に流されてしまった。
あらためて整理をしてみると、前に付き合っていた人はもうすぐ結婚してしまうし、大好きだった祖母と飼い犬は死んでしまった。家族の問題というのはつまり自分の問題で、いまから思えば僕はずっとアップアップしていたし、時間の流れにいつも遅れているような気がしていた。それもこれもすべては自分の考えの子供っぽさからくるものだと思うと、わざわざ書くこともはばかられるほどに情けないことだけど、すぎたことは仕方がないと諦めるしかない。ありえないほどの時間がかかってしまったことも。
ともかく「ど」がつくほどにパーソナルな問題を20年あまりかけて解決してみたら、愛すべきはずだったものはみんな思い出になっていたということだ。
でもとにかく追いついた。少し前を進んでいた時間に。今日部屋を模様替えしながら、そうなのだと気がついた。
そうしたら少しだけ、去っていく時間が惜しくなっている。
できるだけ見ていたいし、忘れたくないと思っている。
こういう気持ちでみんな写真撮ってるのか!?とようやく気づいた。(こういうところもつくづくアホっぽい。)28で気づくことではないはず。
ようやく本当に写真家になれた気がして、あらためて自分の写真を見たら、(これがまた驚きなんですが)なんというかすでにそういうことが写っていて、なんだかいろいろおかしな気持ちになっている。ドウシテシッテルノ!? みたいな。長い探検の果てに見つけた古代遺跡の一室で、原住民がカップラーメン食べてるみたいな気持ちと言いますか。
でも実際写真っていろいろな動機で撮るものだと思う。思い出を残そうと思って撮る人もいるし、純粋に記録として撮ることもある。可愛い子をあとでもう一度見たいとか、きれいな風景を写真にって思って撮ることもある。良い写真を撮るということ自体に価値を見出すこともある。撮る行為自体が楽しいということもある。それらは似ているようで感情としてはかなり違う。けれど、一枚の写真ということでみると、まあ結局そういうことすべてが写っているということなんだなぁと思う。見ている人の解釈でどうとでも取れるっていう意味かというと、僕はちょっとオカルティックなので、写真とはそういうものなのだ、という風に言ったほうが面白いと思うけれど、ま、そんなに違いはないかもね。
朝になったけれど、昨日少し寝すぎたので、このまま起きてようと思ってる。
思えば、すごく新しい気持ちになったときに、こうやって朝を迎えることが時々ある気がする。それはほんとうにすがすがしくて、素敵な朝(!)
家族の問題。
でも去年から今年にかけて、もう片がついたんだと思う。問いは隅々まで洗い出され、なんというか結局は水に流されてしまった。
あらためて整理をしてみると、前に付き合っていた人はもうすぐ結婚してしまうし、大好きだった祖母と飼い犬は死んでしまった。家族の問題というのはつまり自分の問題で、いまから思えば僕はずっとアップアップしていたし、時間の流れにいつも遅れているような気がしていた。それもこれもすべては自分の考えの子供っぽさからくるものだと思うと、わざわざ書くこともはばかられるほどに情けないことだけど、すぎたことは仕方がないと諦めるしかない。ありえないほどの時間がかかってしまったことも。
ともかく「ど」がつくほどにパーソナルな問題を20年あまりかけて解決してみたら、愛すべきはずだったものはみんな思い出になっていたということだ。
でもとにかく追いついた。少し前を進んでいた時間に。今日部屋を模様替えしながら、そうなのだと気がついた。
そうしたら少しだけ、去っていく時間が惜しくなっている。
できるだけ見ていたいし、忘れたくないと思っている。
こういう気持ちでみんな写真撮ってるのか!?とようやく気づいた。(こういうところもつくづくアホっぽい。)28で気づくことではないはず。
ようやく本当に写真家になれた気がして、あらためて自分の写真を見たら、(これがまた驚きなんですが)なんというかすでにそういうことが写っていて、なんだかいろいろおかしな気持ちになっている。ドウシテシッテルノ!? みたいな。長い探検の果てに見つけた古代遺跡の一室で、原住民がカップラーメン食べてるみたいな気持ちと言いますか。
でも実際写真っていろいろな動機で撮るものだと思う。思い出を残そうと思って撮る人もいるし、純粋に記録として撮ることもある。可愛い子をあとでもう一度見たいとか、きれいな風景を写真にって思って撮ることもある。良い写真を撮るということ自体に価値を見出すこともある。撮る行為自体が楽しいということもある。それらは似ているようで感情としてはかなり違う。けれど、一枚の写真ということでみると、まあ結局そういうことすべてが写っているということなんだなぁと思う。見ている人の解釈でどうとでも取れるっていう意味かというと、僕はちょっとオカルティックなので、写真とはそういうものなのだ、という風に言ったほうが面白いと思うけれど、ま、そんなに違いはないかもね。
朝になったけれど、昨日少し寝すぎたので、このまま起きてようと思ってる。
思えば、すごく新しい気持ちになったときに、こうやって朝を迎えることが時々ある気がする。それはほんとうにすがすがしくて、素敵な朝(!)
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